ミューズは願いを叶えない


10月23日 深夜
某マンション玄関扉前

 正直なところ、響也の気障ったらしい口上を聞きたくなかったというのも、彼の言葉を遮った理由の一つだ。
 けれども、音の正体について王泥喜には確信があった。
これは推測だけれども、成歩堂は最初からその可能性を知っていたのではないだろうか? だからこそ、王泥喜の興味を引くやり方でヒントをくれたのではないのだろうか。
 響也を連れてむかった場所。そこは依頼を受けた部屋の真横の部屋だった。
 インターフォンに王泥喜は指をかけ、確かな強さで押し込む。外からは聞き取れないけれど、中では呼出音が鳴っているはずだ。
 何回か行為を重ねたが、無人のはずの部屋からは応えはない。
 入り口のセキュリティーが強固な分、各部屋にモニターはない様子だったが、会話は出来るようになっている。その後も数回チャイムを鳴らし、王泥喜は迷う事無く、集音部分に呼び掛けた。

 兄弟子の名を呼べば、響也が眉を潜めたのが見えた。

「王泥喜法介です。…アナタが此処で何をしてるのか想像は付きます。
 でも、こんな事をしてしまったらこちらの顧客に迷惑がかかるんじゃないんですか? 依頼人は、アナタを信用して仕事を任せているはずです。……先生は、犯罪者かもしれませんが、依頼人の信頼を裏切るような事はしない人でした。」

 マイクを切り、王泥喜は扉に背を向けた。無言で視線を送る響也には、苦い笑いを送った。けれど響也は指一本すら動かそうとしない。暫くは待ったが、ガリと頭を掻き、王泥喜は困った様子で首を傾げた。
「此処で突っ立ってもどうしようもありませんし、後は俺がどうこう言う立場じゃあないんで。言いたい事は言いましたし、行きましょう。」
 伸ばした腕を、響也は軽く弾いた。
「…僕は、検事だから知り得た情報は使うよ。」
「わかってますよ。」
 固い表情の響也に、王泥喜はやはり苦笑を返す。
「そんな顔しないで下さい。だいたいアナタが私情に流されて犯罪を見逃す人間なら、て成歩堂さんが先生の担当検事として呼ぶはずがない。」
「………随分とカッコイイじゃないか、おデコくんにしては。」
 拗ねたように唇を曲げ、響也がエレベーターに向かって歩き始める。ホッと胸をなで下ろし、王泥喜は表情を崩した。響也の後ろ姿を凝視するのも憚られ口元を隠して視線を彷徨わせる。
 頬が熱かった。いや、この調子だと額も真っ赤だろう。恥、恥、恥と何度も脳内で反復する。何ゆってんだ俺は〜アホじゃないのかとも思う。
 勝手に首を突っ込んで来た奴が、苦渋しようと俺に何の関係があるんだ。まして、散々引っ掻き回されて、そりゃ、音源を特定するのに役には立ってくれたのは確かだけど。何で俺がこんな芝居じみた気障ったらしい真似までして、気を使ってやらなければいけないんだ!
 ぐうるぐうると回る思考に正直頭痛がした。


10月某日 夕方
成歩堂なんでも事務所

 それから数日後、贈収賄を伴った大がかりな脱税報じられた。
 大企業の本店に踏み込んで行く捜査員の中に、響也の姿を見つけて王泥喜はふうと息を吐く。
 テキパキと有能そうに動く彼の姿をテレビカメラが追い、王泥喜の目はそれを追ってしまう。他の奴等よりも断然テレビ写りがいいのだからカメラは当然に彼を追う。

「ガリュウさん、ダンボール箱を持っててもカッコイイですよね!」
 隣に座ってニュースを眺めていたみぬきが、感嘆の声を上げる。
「そう…?」
「ほら、颯爽と組み立ててる! ガムテープを持つ手も決まってます!」
 押収品を入れるダンボール箱とガムテープで颯爽としているのなら、引越業者は(英雄)だろう。
 王泥喜はうんざりしながらテレビの電源を落とした。ニュースは終わっていなかったので、抗議の声を発した少女には(もう時間だろ)と告げてやった。
「時間? ですか?」
「仕事の時間じゃないの?」
「王泥喜さんには言ってませんでしたね、今日はみぬきはお休みなんですよ。」
 ニコニコと微笑む少女は(あ)と声を上げ、王泥喜を見つめた。
「せっかくなんで、ガリュウさんに逢いに行きましょう、王泥喜さん!」
 ギョッと目を剥く王泥喜をみぬきはにこにこと見つめる。
「せっかくなんで、」
「何がせっかくなの!?」
 叫んだ言葉は上擦っていた。どんな理屈だそれはと混乱し、慌てふためく王泥喜を、みぬきは冷静に観察しにこりと笑う。
「そんなに恥ずかしがらなくても、みぬきがダシになってあげますから大丈夫ですよ。」 

 もはや意味がわからない。まるで俺が会いたいみたいじゃないか。

「じゃあ、今回の事件についてキチンと話してないからって理由はどうですか? まるで弁護士みたいでしょ?」
「みたいじゃなくて、弁護士だよ俺は!」
 抗議を通り越して泣きが入りそうになっている王泥喜の頭に、ポンと手は置かれる。振り返るまでもなく、伸ばされた腕は成歩堂のもの。先程真っ暗になった画面は、再びニュースを映し出した。
 幾つかあるテレビ局を順に変えて、成歩堂はうぅと小さく呻る。
「……見損ねた…。」
 ガクリと肩を落とし、ソファーに倒れ込む成歩堂に、王泥喜はいや〜な予感をがした。椅子から見上げる成歩堂の芝居じみた表情に、前髪がしょぼくれる。
「王泥喜くん、牙琉検事のとこ行って来て。」
「アンタまで何言い出すんです!」
「だって、彼ナルシストっぽいから自分の出た番組を片っ端から録画してそうじゃないか。貰って来てよ。」
 根拠はないが、説得力のある科白に王泥喜は言葉を詰まらせる。あり得る…というか、絶対にやっていそうだ。反論を封じられた弁護士の口は何の力を持たず、少女はチャンスとばかりに王泥喜を急かす。
「ほら、パパも理由をくれたんですから、さっさと行きましょう!」
「え、あ、ちょっとみぬきちゃ…!!!」
 ぐいぐいと引っ張られて、王泥喜の身体は事務所から引きずり出されてしまう。これ以上何をどう言ったところで無駄だろう。王泥喜は、直ぐに追うからとみぬきを先に行かせ、机の上にあった代物を鞄に詰めた。
 余りに不条理な状態に溜息が出る。けれども、ソファーに寝ころんでいる成歩堂は猫背になって扉をくぐる王泥喜を見て口端を上げた。

「逢いに行くのに理由がいるんだから、まだまだだね。」


10月某日 夕方
街角

 検事局へ向かう道、少しだけ近道しようとみぬきが公園を指さした。薄暗くなってはいたけれど、街灯もあるし王泥喜も同意する。けれど、こんな時間に約束もなくオフィスに押し掛けて俺は何をしたいんだろうかと、公園の暗がりに似た気分が王泥喜を塞がせた。
 みぬきは後ろ歩きをしつつ、王泥喜に話仕掛けた。
「そういえば、室外機が壊れてただけなんですよね?」
「まぁ、ね。」

 決め手はそれだけだった。無人の部屋なのにエアコンを使用している形跡があり、カレンダーに照らし合わせてみると、アリバイがない。顧問会社の犯罪が発覚するのを恐れて、全く関係無い顧客の資産を使って証拠を隠滅しようとしていたのだ。

「みぬきちゃん、そんな事してると転ぶ…。」
 ハッと顔を上げた王泥喜が声を張るよりも、みぬきが何かにぶつかって遊歩道に転ぶ方が早かった。
 何か…いかにも柄の悪そうな男達が四人、道幅いっぱいに並び通せんぼをしている。みぬきは、スカートの埃を払って立ち上がり、抗議の拳を振り上げた。
「そんなところに立ってたら危ないじゃないですか!カツアゲされるほど、お金なんて持ってませんよ!!!」
「なにぃ…。」
 みぬきの売り言葉は相当だったけれど、男達の怒りを買うには充分だろう。未成年の契約は後見人を通さないと無効だぞと心の中で叫び、王泥喜は慌てて彼女を背にかばった。
 自分より遥に大きな男達を見上げる。
「そ、そういう事は、弁護士を通して貰わないと…!」
「弁護士の王泥喜法介だな。」
 え?と思った瞬間、胸元を捕まれ頬を殴られる。みぬきが名前を呼ぶのが聞こえたが、続けざまに数回腹を殴られ地面に転がり様子がわからない。コンクリートで舗装された遊歩道は、叩き付けられると結構な衝撃だった。
 起きあがろうとすれば、なおも蹴られる。
「このっ…!?」
 反撃に出ようとして、男の一人がデジカメを構えているのに気付き、振り上げた手を止めた。兄弟子の嫌がらせだとピンとくる。此処で反撃すれば、それを証拠に罪状をでっち上げるつもりだろう。
 つまらない男だと心の底から思った。怒りよりも呆れが先に立ち、反撃する気にもなれなかった。
 無抵抗でさえいれば目的も果たせないし、殺される事はないだろうと覚悟して、王泥喜は血の味がする唇をギュッと噛みしめた。

「お前ら、何して…おデコくん…!!」

 喧騒に足音など聞こえなかったが、横にいる男は響也だ。地面に両手と膝をつき、顔を上げれば険しい表情が見えた。
「大丈夫かい?」
「どうして、」
「成歩堂龍一が御剣さんの出たとこ全部コピーしろって電話が…、」
 聞いた途端に、ガクリと頭が垂れた。目の前に差し出されたPCカードに涙が出そうになる。
「なのに、僕が映ったところはいらないとか失礼じゃないか、あの男」
 この状況で言いたい事はそこか!…というツッコミに膝が震えた。ちんぴら共にたたき込まれた拳よりもダメージが酷い。
 しかし、みぬきの悲鳴に反射的に顔が上がる。
 男の一人が、振りかざした刃物をみぬきに向けていた。彼女に背中にある帽子くんに目掛けてふりおろされる。
 彼女が自分を助けようとそれを出したのだと、王泥喜にはわかる。みぬきはそうやって何度も自分の危機を救ってくれたのだ。

「みぬきちゃん!!」

 しかし、地面にはいつくばっている王泥喜の手はみぬきに届かなかった。咄嗟にかばい彼女を腕に抱き込んだのは、響也の方だった。
 ワンテンポ遅れて、刃物が振り下ろされる。
 王泥喜の目の前。彼の目の下から頬骨にかけて赤い線が走った。つと流れてくるのは血液で。真っ直ぐに、顎に向けて落ちていき、白いコンクリートの上に濃い丸を描いた。
 ぽた、ぽたっと丸が増える。

「ガリュウさんっ!!」
 みぬきの声に、響也が目を眇めるのが見えた。
「怪我なかったかい、お嬢ちゃん。」
 『顔にっ! 顔にっ!』と叫ぶみぬきちゃんを背に庇う。そして、響也は王泥喜に視線を寄こした。しかし、王泥喜はそれを見ていない。
 視界には一筋の紅い線を起点として何本もの赤い糸を垂らす様子だけが映っていた。深いのかもしれない、傷跡が残るのかもしれない、彼の、綺麗な貌に。

 ブツッ。

 王泥喜頭の中で、確かに何かが弾けた音がした。
バッジがついたままのベストを脱いで響也に向かって放り投げる。驚いた表情の彼を視線の端に捕らえて、王泥喜は一歩踏み出した。



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